2014年01月20日
シマ唄フォーラム行って来ました!
シマ唄フォーラム行って来ました。
鹿児島県が文化庁事業で3年間シマ唄についての保存伝承するために行ったものです。
いや〜そうそうたるメンバーでした。
メインであるシンポジウムで導きだした事は・・・
・その昔(多分昭和のはじめゴロから40年代はじめゴロ)、シマ唄をやってる人は遊び人(怠け者)と言われた時代がある。
・その昔、シマ唄含むシマのモノは、つまらないモノが大前提(比較対象は本土)
・近年(昭和40年代半ば以降)シマ唄文化は多様性、色んな要素から変化する。大会をつくった事で日本一を生み、初めてシマの人がシマ唄の価値を評価した。
↓
・良いものだから、今後このシマ唄(シマグチ)を保存継承してください。
そうなんですよ。
そう思ったから15年前にサモガリ始めたんですよね〜(自分なり解釈して、自分たちの表現で)
この3年かけた事業も、ここで終われば何にもならないんだよね〜。何にもならないは言い過ぎだ。500曲の無くなりそうな唄の記録を作ったんだから!
15年前からサモガリはシマ唄含むシマ文化のカッコ良さをサモガリ的に表現し、シマの人に感じてもらいたかった。だから2001年から「夜ネヤシマンチュリスペクチュ」を始めた。もう今は別物になってしまったけど・・・
大事な事は、その価値をシマの人みんなに感じてもらって、今を繋ぐ事!
サモガリの「イマヲツナグ」良い曲だな〜。
でも、その波をつくり、大きくしていく事は難しい。
サモガリは、押し付けないところに“粋”を感じている。それはそれで良いと思っている。
だって生業じゃないから〜
完全ボランティアだから〜
鹿児島県さん! あと3年間、シマの人がシマの価値を気づき築くための事業をしてください。(広域事務組合か?)
そして本土復帰61年目からは、シマの人達で“日本復帰”で葉無く、“奄美への復帰”ために取り組もう!!
※“奄美への復帰”は南海日日新聞のコラムのパクリ
シマ唄から奄美の色々が見えてくる!!
鹿児島県が文化庁事業で3年間シマ唄についての保存伝承するために行ったものです。
いや〜そうそうたるメンバーでした。
メインであるシンポジウムで導きだした事は・・・
・その昔(多分昭和のはじめゴロから40年代はじめゴロ)、シマ唄をやってる人は遊び人(怠け者)と言われた時代がある。
・その昔、シマ唄含むシマのモノは、つまらないモノが大前提(比較対象は本土)
・近年(昭和40年代半ば以降)シマ唄文化は多様性、色んな要素から変化する。大会をつくった事で日本一を生み、初めてシマの人がシマ唄の価値を評価した。
↓
・良いものだから、今後このシマ唄(シマグチ)を保存継承してください。
そうなんですよ。
そう思ったから15年前にサモガリ始めたんですよね〜(自分なり解釈して、自分たちの表現で)
この3年かけた事業も、ここで終われば何にもならないんだよね〜。何にもならないは言い過ぎだ。500曲の無くなりそうな唄の記録を作ったんだから!
15年前からサモガリはシマ唄含むシマ文化のカッコ良さをサモガリ的に表現し、シマの人に感じてもらいたかった。だから2001年から「夜ネヤシマンチュリスペクチュ」を始めた。もう今は別物になってしまったけど・・・
大事な事は、その価値をシマの人みんなに感じてもらって、今を繋ぐ事!
サモガリの「イマヲツナグ」良い曲だな〜。
でも、その波をつくり、大きくしていく事は難しい。
サモガリは、押し付けないところに“粋”を感じている。それはそれで良いと思っている。
だって生業じゃないから〜
完全ボランティアだから〜
鹿児島県さん! あと3年間、シマの人がシマの価値を気づき築くための事業をしてください。(広域事務組合か?)
そして本土復帰61年目からは、シマの人達で“日本復帰”で葉無く、“奄美への復帰”ために取り組もう!!
※“奄美への復帰”は南海日日新聞のコラムのパクリ
シマ唄から奄美の色々が見えてくる!!
Posted by サーモン at 01:40│Comments(1)
この記事へのコメント
うがみんしょ~らん。
島唄フォーラムは行けなかったけど、内地から「なちかしゃ、みくいば」聞いてました。
築地俊造さんがおっしゃること、まさにサモガリさんだ!と。
島唄フォーラムは行けなかったけど、内地から「なちかしゃ、みくいば」聞いてました。
築地俊造さんがおっしゃること、まさにサモガリさんだ!と。
Posted by そら at 2014年01月20日 19:21